10.株主価値を計算してみましょう

前回は、マルチプル法の基本的な考え方についてお話し、いくつか代表的なマルチプルをご紹介しました。今回は、まず前回ご紹介したEV/EBITDA倍率を使って株主価値を計算してみようと思います。次に、マルチプル法を実際に使う場合にどんな点に気をつけたらよいのか考えてみましょう。

それでは、ここで前回の内容をちょっと思い出していただきましょう。EV/EBITDA倍率は、株式時価総額+有利子負債額で計算される企業価値(EV)がEBITDA(税引前利息支払前償却前利益)の何倍かを表すものでした。
いま仮に、税引前利益が1億円、減価償却費が4千万円、支払利息が1千万円の会社があるとします。この会社のM&Aでの売買価格の目安はいくらと考えることができるでしょうか。EBITDAは1億5千万円(=1億円+4千万円+1千万円)ですから、類似する上場会社のEV/EBITDA倍率を5とすると、企業価値は、1億5千万円×5倍=7億5千万円となります。ここから、有利子負債額を1億円とすると、株主価値は、6億5千万円(=7億5千万円 – 1億円)と簡単に推定することができます。

 

マルチプル法は、株式市場で実際に売買された株価を使うので客観性が高いこと、他の方法と比べて計算が簡単であること、計算に使う財務データもインターネットなどを利用すれば比較的入手しやすいものであること、などの理由から実務でよく使われている評価方法です。

しかし、マルチプル法のこれらの利点は見方をかえると弱点にもなります。たとえば利益やキャッシュフローについて、現状のトレンドがずっと続くといった大胆な前提を置いて計算を単純化しているので、事業の環境(外部あるいは内部の)が大きく変わりそうな場合には使えません。また、類似会社の株価には、投資家の期待収益率や利益成長率、リスクなどに対する評価が反映されていると考え、この株価を基に計算した評価倍率をそのまま評価しようとする会社にあてはめて計算します。つまり、評価しようとする会社を類似会社の株価によって相対的に評価しているわけですが、はたしてその水準が正しいのかどうかは確かめられません。

 

このようにみてくると、マルチプル法が使えるのは、類似会社および評価しようとする会社の企業業績が安定していて、かつ株式市場も安定した状態のときに限られます。ですが、常にそのような状況であるとは限りません。こうした弱点を補う方法としては、評価倍率について、PER、PCFR、PBRなど複数の指標を使って比較してみる、あるいは現時点の数値でなく過去の平均値を使うなどの方法が考えられます。

 

ここで、建設業の場合について考えてみましょう。前述したように、マルチプル法では現状の利益やキャッシュフローのトレンドがずっと続くものと仮定しています。しかし、建設業界では今後、財政再建に向け公共工事の削減傾向が続き、また継続的な人口減少により民間工事も減少すると予想され、中期的にみると建設市場全体は縮小し続けていくと考えられます。このような市場環境のもとで中堅以下の建設業の会社の中には、生き残るために既存の特定の分野に特化するとか、あるいは新分野に進出するといった行動をとる会社がでてくるでしょう。こうした場合には会社の収益構造が大きく変わってきます。このようなケースではマルチプル法は使えないので、DCF法のように会社独自の業績予測をして評価を行う必要があるでしょう。

 

マルチプル法を適用するうえでのその他の留意点としては、類似会社の選び方があります。類似会社について、普通は複数の会社を選んで各会社の評価倍率の平均値をとります。では、いくつかの類似会社はどのように選ぶべきでしょうか。まず考えるのは、会社の製品やサービスの内容が似ているということでしょう。その他には、売上、利益、純資産の規模や従業員数なども検討する必要があると思います。また、成長性などもポイントになるかもしれません。すべてが似ている会社を見つけるのは不可能ですから、普通はどこかにポイントを置いて選ぶことになると思いますが、なぜ類似会社としてその会社を選んだかという理由をきちんと説明できる必要があります。

 

建設業の場合、類似会社をどのように選んだらよいでしょう。評価しようとする会社が、建築中心か土木中心か、公共工事中心か民間工事中心か、同じ建築でも住宅か住宅以外かなどで選ぶ会社が変わってきます。また、同じ住宅でも在来工法のところもあれば2×4(ツーバイフォー)の会社もあります。さらに、自社で施工している会社がある一方で設計管理のみ行っている会社もありますから、この辺も選ぶうえで考慮する必要があるでしょう。建設業の場合、特に公共工事中心の会社では、地域によって入札方法に違いがあることもありますから、地域性も大きく影響する点です。上場会社は中央に集中しているため、地方の建設業の場合には類似会社を見つけることが難しいかもしれません。

読者の方が実際に、ある会社についてマルチプル法の計算をしてみようと思われた場合は、インターネットや「会社四季報」、「日経会社情報」などを利用して類似会社のデータを集めてみるとよいでしょう。
マルチプル法はあくまで簡便的な方法ですからこの方法のみで評価することはありません。実務では、マルチプル法による計算で大まかな方向性を出しておいて次にDCF法の評価につなげるというように、DCF法とマルチプル法を併用する場合が多いようです。

企業評価については、今回が最終回となります。最後までお読みいただきありがとうございました。次回からは、「M&Aの法務」というテーマでお届けしますので、またお付き合いいただければ幸いです。

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